「憎む」っていう気持ちがあるのは、まだあなたのことを愛しているから?

前にTVを見ていたら、
「ひどく憎んでいるということは、まだいくらか愛しているということである」
というような感じの昔の格言が流れていた。この言葉を聞いて、ドキリとしてしてしまった。

別れた人のことを、少し「憎い気持ち」で思い出すことはある。
多分、それは心の傷が完全には癒えていないんだろうし、
「どうして…」って気持ちが残っているからだと思ってた。
 
「まだ好き」だんなんてことは、ないと思ってた。
そんなことはない、って言い切れると思ってた。
 
でも、あの日TVで
「ひどく憎んでいるということは、まだいくらか愛しているということである」って言葉を聞いて、
ドキっとした。
少し動揺した。
 
そんなことない…。
って小声でつぶやきたい気分になった。
 
そうなのかな。
そうなの?
 
「憎む」って感情は、「愛情」につながってるのかな。
 
確かに、彼を好きで信じていたから、「憎む」気持ちが生まれたんだと思う。
 
別れた直後は、まさに「好き」からくる「憎む」だった。
 
でも、今もまだ「愛してる」って気持ちがあるっていうの?
私に?
 
例えば、例えばもし愛情が残っていたとしても、
「またいっしょになりたい」とか、「また会いたい」とかの感情ではない気がする。
 
会いたくない。
 
うーん。うーん。うーん。
 
でもやっぱり「今もまだ愛情がある」っていうのとは違うかなあ。
 
昔、あの時に持っていた「好き」って言う気持ちの残像があるっていう感じというか。
 
もう残像だから、今私にあの人への気持ちがあるっていうのじゃなくて、
過去の想いとして、残っている気持ちがあるから、
「憎い」っていう気持ちが消えないような気が…。
 
好きだった気持ちが忘れられないでいるから。
 
でも、ここまで「会いたくない」って思うのも、
心の奥に「愛してる」の感情があるからなのか…。
 
もう完全に、あの人との思い出も、
言ってくれた優しい言葉も、ひどい言葉も忘れてしまえば、
「どうして…」って言う気持ちも、憎しみもなくなるの?
 
その時にはじめて「愛してたのに」っていう感情も消えてなくなるの?
 
それが分かるには、もう少し時間がかかりそう。
 
なんか、今回の
「ひどく憎んでいるということは、まだいくらか愛しているということである」
っていう言葉には、心の奥を突かれたような気分になった。 

遠野まりこ(Toono Mariko) OFFICIAL

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